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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1377号 判決 1982年12月23日

控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 市野澤角次

被控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 田中峯子

主文

一  原判決を取消す。

二  控訴人と被控訴人とを離婚する。

三  控訴人、被控訴人間の長男一郎(昭和四三年六月二八日生)の親権者を被控訴人と定める。

四  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人

主文同旨。

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二主張、証拠

当事者双方の主張及び証拠は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、その記載を引用する。

一  控訴人の主張

控訴人と被控訴人の婚姻関係を破綻に導いたのは被控訴人の控訴人に対する態度(被控訴人家の控訴人に対する態度も含む。)にある。被控訴人は控訴人を夫として遇する態度に欠け、また感情的であった。控訴人が乙山春子と同棲するに至ったのは、被控訴人との婚姻関係が破綻した後のことであり、この点原判決は事実を誤認している。

二  被控訴人の主張

1  被控訴人及びその家族が控訴人を被控訴人の夫として遇する態度に欠けた旨控訴人は主張するが、全く事実無根のいいがかりである。

2  被控訴人は長男一郎を加え、三人でかつてのように幸福に暮すことを強く希望しており、いつでもその生活を送ることができる準備をしているので、婚姻生活が完全に破綻しているとはいえない。

三  証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  控訴人は亡丙川松夫、松子間の長男として昭和一六年一月三日に生れ、中学校卒業後約二年間田舎の農協に勤め、その後上京して運転手をしたり、渋谷のバー街で演歌師をしたりしながら音楽を勉強し、一時日本ビクター・レコードの専属歌手(芸名 戊田竹夫)をしていたが、これをやめA観光株式会社、B商事株式会社等の会社員を経て、船舶用エンジンを販売するC工業株式会社の代表取締役を勤めたが、現在仙台市に居住して各地のデパートやスーパーにおける食品(漬物)販売の仕事に従事している。

被控訴人は甲野梅夫、梅子間の三女として昭和一三年一一月一七日に生れ、四歳の時から日本舞踊を習い、一二歳の時に花柳流の名取、一三歳の時に花ノ木流の名取となり、長野県立D高校を卒業した後、二八歳の時日本舞踊「甲花流」を創立し、現在までその家元として活動し、東京に舞踊教室を持ち、約四〇人の名取の弟子を有している。

被控訴人は舞踊会のため九州に行った時控訴人と知り合い、交際を始め、被控訴人が控訴人のアパートを訪問した時肉体関係を結び、被控訴人が懐妊するに至り、そのため控訴人は被控訴人と結婚するようになったが、被控訴人の希望で、被控訴人が甲野家を継ぎ、控訴人が甲野姓に変ることとなり、被控訴人の両親の要望により急遽昭和四二年六月二八日結婚式を挙げた。ところが、その頃被控訴人は控訴人の了解を得ないまま妊娠中絶手術を受け、このことに対し控訴人は強い憤りを感じた。控訴人は挙式後被控訴人の家に移って同棲し、昭和四三年六月二二日に被控訴人の氏を称する婚姻届を提出して正式の夫婦となり、その直後である昭和四三年六月二八日右両名の間に長男一郎が出生した。

2  控訴人は、結婚後被控訴人及びその家族(被控訴人の両親、弟妹、内弟子一人、計五名)と生活を共にすることになったが、便所に行くにも気を使うような有様であり、また、結婚当時定職に就いていなかったので、被控訴人に生活費を渡すことができなかった。被控訴人は舞踊の一派を創立するだけに勝気で男まさりであり、その半面自己中心的で嫉妬深く、家事万端被控訴人とその両親を中心に回転し、控訴人は、その圏外にあり、夫としての自尊心を傷つけられるとともに、疎外感を抱かざるをえなかった。

3  控訴人は昭和四三年七月A観光株式会社に入社し、同社が経営する郡山市熱海温泉所在のホテルで芸能企画の仕事を担当することになったため、東京の自宅と右ホテルとの間を往来する生活が続いた。その当時右ホテルで上演していた日本舞踊のチームリーダーの女性が被控訴人に「あなたが御主人を放っておくと、私が旦那をひきとってやるわよ。」といったことがあり、被控訴人はこれを聞いて怒って控訴人に離婚を迫る場面があった。

4  昭和四四年二月五日控訴人が勤務していた右ホテルが火災にあったため、控訴人は東京の家に戻ってA観光株式会社と同系列のB商事株式会社に入社し、その渋谷支店で勤務を始めたが、やがて深夜午前三、四時頃に帰宅するようになるとともに、被控訴人に手渡していた給与を渡さなくなった。たまたまこの頃、被控訴人は、控訴人の会社関係の女性から、控訴人が新宿の某店のホステスをしている春子という女性とつき合っている旨の電話を受けたので、控訴人の財布の中を調べてみたところ、その中に女性の写真と控訴人の給与明細書があるのを発見したが、その給与明細書によれば控訴人が勤務先からこれまでかなり高額の給与を受けていたことがわかった。控訴人はこの女性とは深い関係はないといって否定したが(控訴人がこの女性と深い関係にあったことを認めるに足りる証拠はない。)、被控訴人は、控訴人と右女性との関係に強い疑念を抱き、弟らに頼んで春子なる女性が勤務しているという店へ調べに行ってもらったりしたうえ、控訴人に対し、「女の人と別れてほしい。もし別れられないのなら離婚しましょう。」といって詰め寄り、結局控訴人がその女性は愛人ではないと強く否定したので、ようやく治まった。

5  被控訴人は、昭和四四年六月頃妊娠し、生活と体調の関係で中絶して三日間入院したが、その際控訴人が見舞に来なかったことで、控訴人に対し「もうついていけない。別れます。」といい放った。

6  その後控訴人はB商事を一時退き自分で「ギョーザ」の店を出すために名古屋から京都方面へ脚本家の丁原一夫を頼って出かけたが、そのまま三か月間も被控訴人に対し何の連絡もしなかったことから、被控訴人は立腹し、控訴人に対し「安定した生活ができるなら、そちらで生活して下さい。別れるつもりなら返事を下さい。」という内容の手紙を送ったり、控訴人が後記のようにB商事に戻って名古屋で勤務中、勤務先に長電話で苦情をいったうえ、一方的に「別れましょう。」と通告したりした。

7  「ギョーザ」に関する控訴人のもくろみは成功せず、控訴人は、B商事株式会社に戻って昭和四六年三月末まで名古屋で勤務したが、A観光株式会社がホテルの再開を決定したので、その頃同社に再入社し、その宇都宮営業所で勤務し、週末には東京の家に帰宅し、生活費も被控訴人に手渡していた。控訴人は、昭和四六年九月頃同会社山形営業所に転勤したが、やがて控訴人が被控訴人に生活費を入れなくなったので、被控訴人は、同女の母から控訴人に生活費を入れてもらうようにしなさいと注意された。そこで、被控訴人は控訴人とも親兄弟とも別れて一郎と二人だけで独立の生活を営もうと考え、一郎を連れ、友人を頼って家を出た。その夜控訴人は東京の家に帰宅してこのことを知ったが、間もなく被控訴人から電話があって、控訴人の女性関係を問題にし、結局直接会って話合うことになり、池袋の喫茶店で話合った。その結果、控訴人は被控訴人に対し生活費は渡すし、週末にはなるべく帰宅する旨を約し、控訴人、被控訴人は自分達の家庭生活を築くため協力し合おうと申し合せた。以後、控訴人は被控訴人に対し昭和四七年夏頃まで、給与明細書とともに毎月七、八万円の生活費を手渡していた。

8  A観光株式会社山形営業所が借りていた建物は、一階が営業所で二階が住居となっていたが、騒音が激しいので住居を移転することとし、控訴人は昭和四七年七月不動産屋の仲介で山形市内のアパートを借り、他の二人の社員(男性)と共にこれに引越した。ところが、控訴人は、先に被控訴人に渡すことを約束していたボーナスを右アパートの応接セットや電話等の購入に費消してしまった。そして、控訴人が同年七月末東京の家に帰宅した際、被控訴人に対し、その旨及びこれからは新しい仕事をするので月一、二万円しか生活費を渡せないしあまり帰れない旨を告げたところ、被控訴人は話が違ったことに立腹し、控訴人と口論し、控訴人に対し「電話を入れたり応接セットを買ったりしたことにして本当は女につぎ込んでいるのだ。」といってなじり、控訴人は被控訴人に対し「仕事をもっている女は嫌いだ。」と口走ったことから、被控訴人はこの控訴人の言葉を無情な言葉と受取り、「荷物をまとめて出ていきなさい。」といって応酬した。

9  翌朝被控訴人は、控訴人と一緒に山形市に行こうと思い立ち、長男一郎を連れて控訴人とともに、山形市にある控訴人が借りたアパート(ただし、他の男性二名と共用)に赴いた。被控訴人が訪れてみた控訴人の住いは、青と赤のスリッパが一対揃っていたほか、調味料や鍋、茶碗、ザルの台所用品等から浴室の用具に至るまで、男世帯にしては心くばりのゆきとどいた状況に見えた。これを見た被控訴人は、控訴人に女性関係があるのではないかとの疑念を抱き、トイレの掃除をした時に汚物入れの中を見たところ、血液の付着した女性の下着が入っていた。そこで、被控訴人は、即座に控訴人を外に連れ出して、このことについて問いただしたところ、控訴人は被控訴人に対し「お前の好きなようにしろ。」といっただけであったので、被控訴人は控訴人に女性関係があるものと考えて、控訴人に対し「好きな人ができて別れたいのなら、慰藉料をいただきます。」といった。右トイレの中の汚物入れは、アパートの先住者が残していったもので、控訴人と無関係のものであった。控訴人は、被控訴人の控訴人に対する態度、ことに嫉妬からする度重なる離婚話に困惑、反発し、被控訴人に対する愛情を失ない、真剣に被控訴人と離婚する心境になった。

10  そこで、控訴人は、離婚の前提として別居するため、昭和四七年八月下旬頃被控訴人に対し山形市へは来ないで欲しいという手紙を書き、これを受け取った被控訴人は不安になり、すぐに長男を連れて山形市の控訴人の勤務先を訪ねたところ、控訴人は何しに来たといって被控訴人らを山形市のホテルに案内し、そこで一泊した。その時被控訴人は控訴人に対し、これまで弟子や家族との同居暮しで控訴人に肩身の狭い思いをさせて申訳なかったといって詫びた。

なお、これより前、控訴人の母が被控訴人方を訪ねて怒鳴られたことがあった。

11  控訴人は、昭和四七年一一月初め頃被控訴人が控訴人に山形を訪れたいといって電話してきた際、同月二日付の速達便で、被控訴人に対し、山形市には自分が七月から知合い、九月中旬からは深いつき合いになってしまった女性がいる旨の手紙を書き送ったうえ、それ以後は被控訴人が控訴人に電話をかけても「山形市へ来れば別れる。すぐ離婚だ。」といってとり合わなくなった。しかし、右手紙の内容中深いつき合いになった女性がいるという点は、控訴人が一方的に女がいると思っている被控訴人の態度に反発し、女ができたといえばかえって被控訴人が控訴人をあきらめ、離婚のショックも少ないだろうと思って作為したもので、真実を述べたものではなかった。

12  被控訴人は、昭和四七年一二月控訴人を相手方として山形家庭裁判所に夫婦関係調整の調停を申立て、その後右調停事件は東京家庭裁判所に移送され、同裁判所において、昭和四八年三月一九日「(一) 申立人(被控訴人)と相手方(控訴人)は当分の間別居する。(二) 相手方は申立人に対し婚姻費用の分担として、昭和四八年三月から別居状態が解消するまで毎月二万円宛を各月末日限り支払う。」旨の調停が成立し、控訴人、被控訴人間の別居が調停上確認され、継続されることになった。控訴人は、右婚姻費用について合計二〇万円を支払ったが、その余の支払をしなかった。

13  その後、控訴人は昭和四九年七月、被控訴人の知人である訴外甲田夏子と控訴人、被控訴人間の離婚問題について話合ったが、同訴外人から、長男一郎が小学校に入学した後であれば協議離婚の届出をしてもよい旨被控訴人が了解していると聞いたものと思い、昭和五〇年七月一七日山形市役所に協議離婚の届出をしたところ、東京都杉並区長に対しあらかじめ被控訴人から離婚届の不受理願が提出されていたため、右の届出は受付けられなかった。

14  控訴人は、前記のとおり昭和四七年七月不動産屋に会社の寮に使うアパートの仲介を依頼した際、右不動産屋に勤めていた乙山春子(昭和二七年一月四日生)と知り合いになったのであるが、昭和四八年夏頃たまたま同女と再会したことから交際を始め、昭和四八年秋頃肉体関係をもつに至り、昭和五〇年五月一二日頃から同女と同棲するようになった。右両名の間には昭和五一年一月二九日男児秋夫が、昭和五七年一月一三日女児冬子が出生した。控訴人は同女に被控訴人とは異なる優しさを見出し、同女との生活に心の安らぎを得ている。

15  控訴人は、昭和五一年四月二七日東京家庭裁判所に対し離婚を求める調停を申立てたが、右調停が不調に終ったため本訴を提起するに至った。被控訴人は、本訴において終始控訴人との婚姻の継続を希望しているが、控訴人の離婚意思は極めて堅固であって、将来控訴人が被控訴人と同居する見込みは全くない。

16  前記のように、控訴人は昭和四七年一一月からは被控訴人と完全に別居し、昭和四八年三月東京家庭裁判所において被控訴人との間に当分別居する旨の調停が成立し、引続いて現在まで約一〇年間被控訴人と別居している。その間被控訴人が長男一郎の監護、教育に当ってきた。被控訴人は、甲花流舞踊の家元としての職を有し、生活能力があり、一四歳になった長男一郎が一緒に生活をしている。

以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

二  右認定事実によれば、控訴人、被控訴人間の婚姻関係は、遅くとも昭和四七年一一月末頃には破綻するに至ったものというべく、その一半の原因は、被控訴人の控訴人に接する態度、ことに一方的に控訴人に女がいるものときめつける被控訴人の異常な嫉妬深さと感情の起伏の激しさにあるものと認められ、控訴人が右破綻の主たる有責当事者であるとは認められず、その有責の度合は相い半ばするものといわなければならない。

被控訴人は、控訴人の乙山春子との不貞行為が婚姻関係破綻の原因である旨主張するが、控訴人が被控訴人宛昭和四七年一一月二日付速達便を出した事情は前記のとおりであり、控訴人が乙山春子と肉体関係を生じたのは被控訴人との婚姻が破綻した昭和四七年一一月より後のことであると認められる。

被控訴人は、仮に控訴人の右不貞行為が婚姻関係破綻後であったとしても、右破綻の原因は控訴人の不貞行為を推測させる行為の積重ねと生活費を渡さず婚姻関係維持に対する被控訴人の無責任で非協力な態度にあり、控訴人は婚姻破綻の主たる有責当事者である旨主張する。しかし、控訴人に乙山春子以外の女性と不貞行為があったことを認めるに足りる資料はなく、それにもかかわらず被控訴人が控訴人に度々離婚を迫ったことは強い嫉妬心にかられて事態を誇大視した結果であるといわざるをえず、また、被控訴人には相応の経済力があること等を考慮すれば、控訴人が婚姻関係破綻につき一半の責任を負うべきものであるとはいえ、その主たる有責当事者であるということはできない。従って、被控訴人の右主張は採用することができない。

三  そうすると、本件において、いたずらに形式上の婚姻関係を維持するのは相当でなく、民法七七〇条一項五号所定の婚姻を継続し難い重大な事由があることを理由とする控訴人の本件離婚請求は、正当として認容すべきである。

そして、前記認定事実によれば、控訴人と被控訴人間の未成年の子である長男一郎の親権者は被控訴人と定めるのが相当である。

よって、右と異なる原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから、原判決を取消し、控訴人と被控訴人とを離婚し、控訴人、被控訴人間の長男一郎の親権者を被控訴人と定め、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川添萬夫 裁判官 鎌田泰輝 裁判官高野耕一は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 川添萬夫)

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